勤続19年目の社員が思う、サイバードの魅力

エンジニア

日本のモバイルインターネット黎明期の1998年に創業した株式会社サイバード。エンジニア職の篠崎敦はその翌年の1999年に入社してから、数々の仕事を遂げ、サイバードの歴史とともに歩んできました。2018年現在、勤続19年目となった彼は何を思うのか。19年の歩みとともにご紹介します。

サイバードとの出会い

篠崎の「ものづくり人生」は、小学2年生の時、BASIC言語に出会ったことからはじまります。一人っ子だったため、よく家のパソコンで遊んでいたという彼は、その頃何かを考えることもつくることも好きで、自分が遊びたいものを自分でつくるという幼少期を過ごしました。

サイバードの理念である「Happyな瞬間を創り出す」という気持ちは、この頃からすでに芽生えていたのかもしれません。

それ以来、独学でプログラミングを学び続けた篠崎。中学校に入りパソコンを買ってもらってからは、C言語を独学で学び、本格的なゲームをつくるようになります。

大学生時代には当時のネット仲間からともに起業しようと持ちかけられ、ゲーム企画を担当することになったのですが、なんと準備段階で社長が姿を消してしまったのです。

起業まであと一歩という段階まできて状況は一転、篠崎は路頭に迷い、なんとか食いつないでいく状況となってしまいました。

その時に同じゼミの友人からの紹介でサイバードと出会い、就職を決意します。はじめ、企画職を希望したものの、技術職の人員不足という理由から、エンジニアとして開発を担当することになった篠崎。

こうしてサイバードでエンジニアとしてのキャリアがスタートしたのです。

時代の激動の波に食らい付いてきた19年

入社した当時は、ちょうどiモードやEZwebが世に出た年で、「これからモバイルインターネットの世界にゴールドラッシュが来る!」と、サービスをみんなが一丸となって企画し、つくり続けました。

篠崎 「10サービスを同時にリリースすることになり、馬車馬のようにプログラムを書き続けました(笑)。徹夜をしたり、オフィスの床で寝たりする日々でしたが、携帯電話の世界に革命を起こしたiモードの創世記に関われたことは今でも深く思い出に残っています」

また、当時の企画サイドにはとにかく変わった人、個性の強い人が多かったと言います。

篠崎 「企画メンバーの方からは大きな声での議論が毎日のように聞こえてきて、社内ではよく『動物園のようだ』と話していました(笑)。

ただ、企画サイドのみんなも、最高のサービスをつくってお客様に届けようと思う気持ちは、自分たちと同じであることを社内のみんなが理解していました。だからこそ、企画のみんなが託してくれたものを、エンジニアとして信頼を受けて形にし、守っていくという感覚は好きでした。

波情報サイト『なみある?』を担当をした時に、情報更新のためサーフィン大会に同行したんですが、大会終了後も作業が終わらず、日が暮れて真っ暗になった後も、ひとり海岸で波の音を聞きながら更新作業をしました。大変でしたが晩ごはんの郷土料理はおいしかったことを覚えています。

また別のサービス対応でも、当時はサーバーがまだ今ほど安定しておらず、毎週調子が悪くなるサーバーもあり、夜間休日の対応が多かったんです。不具合や障害に備え、土日の外出時も常にノートパソコンを背負い、障害が発生したら駅のホームでも路上でもどこでもすぐに対応していました。

スキー中に山の頂上でスクランブルメール(障害発生メール)が発生し、ふもとまで直滑降してゲレンデで対応したこともありましたね(笑)」

その後も、「新しいことをしたい」という企画メンバーの要望を形にするために、毎週何かしら新たなサービスのリリースがある、という時期が半年ほど続きます。

当時、テレビやメディアでも大人気の占者の占いサービスなど、業界でも話題となったふたつのビッグサービスを同時に担当した時もありました。この時が篠崎のサイバードで働いた19年間の中で最も辛い時期となりました。

篠崎 「企画メンバーがイケイケで、とにかく新しいコンテンツを次々と入れて行こう!という中、どんどんハイスピードでつくり続けて行くのは正直すごく辛かったです。今思い返しても、当時のハードさは相当なものでした。

1年くらい終電や徹夜が続いて、辛すぎて白髪も発生しました。ただ、辛すぎて辛いことを忘れる能力がつきましたね(笑)」

そんな辛い日々の中で篠崎の支えとなったのは、上司や仲間の存在、そして、時代の波に乗る、勢いを持ってやり抜くというみんなの強い想いでした。

篠崎 「周りの人たち、上司が気遣ってくれました。辛かったけど職場の関係性が良かったし、みんなの助けが私の支えになったんです。そういったサイバードの人の温かさ、また、温かさの一方で、みんなが真剣にやり抜こうと思うがゆえの厳しさ。それは、昔も今も変わらないと思います」

新しい領域に挑戦していく

時代の変化の荒波に乗り続けてきたサイバード。事業環境に大きな変化をもたらしたガラケー、スマートフォンの登場に続き、「Voice UI」という人々の生活に大きな変革をもたらす領域が登場しました。

会社としてこの領域に挑戦することになった際、篠崎は思い切って自ら手を挙げてVoice UIプロジェクトチームへ参画を決意します。抱えているプロジェクトはあったものの、新しいことに挑戦したいと思いが膨らんだのです。こうして、入社19年目、エンジニアとして新たな挑戦がはじまりました。

2018年現在、エンジニアとして企画部分にも関わっている篠崎。

Voice UIの領域は、まだまだ世の中に出ていない機能もたくさんあり、プランナーもエンジニアも含めたチームで事業化を目指し、アイデアを出し合って、思いついたものを試作したり、ギリギリどこまでできるかを常に考えています。

エンジニアとしてプラットフォーマーに対しても「こんなことができるようになれば」と直接話しをする機会も少なくありません。

また、入社19年目にして初めて、Voice UIエンジニアとして外部講演に登壇するなど、篠崎の“新たな挑戦”は留まることはありません。

篠崎 「Voice UIはまだ新しい領域で、大きな可能性を秘めていると思っています。新しいものだからこそ、デバイスも変化していくし、考えなければいけないことや、やりたいことも多い。発展途上な分野なので様々な変化は覚悟してやっています。

勢いに乗り先頭を走り切らなければいけない。だからこそみんな真剣だし妥協がない。また、入社当時のような怒涛の生活が戻ってきました(笑)。試行錯誤の毎日ですが、それが楽しいですね」

そんな篠崎は、サイバードでAIとVoice UIを結びつけたサービスを実現することが今の夢だと言います。

篠崎 「介護システムや受付の案内などそういったところにAIが使われていますが、私はアニメやコミックといった趣味もあるので、エンタテインメントの領域でのAIとVoice UIの融合を考えていきたいです。

あと、同じ領域に携わる仲間を増やして、Voice UIの領域の底上げを図っていくことも進めていきたいと思っています」

プロとして互いを尊重しあうサイバードの環境

入社からの19年間をあっという間だったと振り返る篠崎。そんな彼が関わってきたサービスは100を超えます。

篠崎 「長いあいだサイバードにいて、辛いこともあったけど、サイバードを辞めようとは思いませんでした。この会社で上司や仲間を信頼してやっていこうという仕事観が持てたからです」

また、エンジニアとして、今あるものを守るだけでなく、デバイスやテクノロジー、事業環境の変遷とともに、新しいものやその仕様に触れられる“挑戦できる環境”があったことも、続けてこられた大きなモチベーションになりました。

とはいえ、エンジニアとして年月を重ねて行く中で、マネージメントのキャリアへ進むのか、スペシャリストとして極めていくのか迷った時期もあったという篠崎。

それでも、「“新しいもの”や“つくること”が好き」という一貫した気持ちが、スペシャリストとして歩んでいくことを決意させました。会社もそういう道筋をつくってくれたことがさらに背中を押してくれたと言います。

篠崎 「規則ベースで成り立つ人同士の関係、そこには限界があります。もちろんサイバードにも規則はあるけど規則のうえに成り立った関係性ではないんです。

個性が許容される環境の中で、チームとしてお互いの強いところを尊重し、弱いところを認めて許容しあう、フォローしあうことができる。個々がプロフェッショナルであるからこそ、お互いが助け合うし、お互いに対して厳しくもあるというのがサイバードの強さだと思っています」

“時代の波に乗る”“勢いを持ってやり抜く”という強い想いを持った仲間とやりたいことを自由にできる環境がサイバードにはあります。あとは自分が発するか、手を挙げるか、やり抜くかだけなのです。

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